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スタッフ STAFF

インタビュー
監督・企画 竹中直人
1956年3月20日生まれ、横浜市出身。
1983年のデビュー以来テレビドラマや、舞台、映画多数の作品に出演。『Shall we ダンス?』(96)で日本アカデミー賞最優秀助演ヴェネチア男優賞を受賞。映画監督、画家、ミュージシャンとしても幅広く活躍し、91年には、主演も務めた初監督作『無能の人』がヴェネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞、第34回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞し国内外で認められる。『東京日和』(97)、『連弾』(00)、『サヨナラCOLOR』(05)、『山形スクリーム』(09)などに続き、本作は監督としての長編8作目となる。主な出演作品に、『シコふんじゃった』(92)、『のだめカンタービレ』(09,10)、『カツベン!』(19)、『翔んで埼玉』(19)、『サムライマラソン』(19)、『麻雀放浪記2020』(19)、『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』(21)、大河ドラマ「青天を衝け」(NHK/21)がある。
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インタビュー
監督・プロデューサー 山田孝之
1983年10月20日生まれ、鹿児島県出身。
1999年に俳優デビュー。2004年TBSドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」で主演を務め、第42回ザテレビジョンドラマアカデミー賞で主演男優賞を受賞。2005年に映画『電車男』で主演を務め、社会現象に。また、映画『デイアンドナイト』(19)ではプロデュース、ドラマ「聖おにいさん」(NHK)では製作総指揮を務めるほかミュージカルの主演などその活動は多岐にわたる。本作では長編映画初監督を務める。主な出演作に、『クローズZERO』シリーズ(07・09)、『凶悪』(13)、『闇金ウシジマくん』シリーズ(12、14、16)、『映画 山田孝之3D』(17)、『50回目のファーストキス』、『ハード・コア』(18)、『ステップ』、『新解釈・三國志』(20)など多数。出演待機作として『はるヲうるひと』(21)、全世界に配信され人気を博した主演ドラマ「全裸監督」(Netflix)続編が控える。
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インタビュー
監督 齊藤 工
1981年8月22日 生まれ、東京都出身。
パリコレクション等モデル活動を経て2001年に俳優デビュー。俳優業の傍らで20代から映像制作にも積極的に携わり、齊藤工名義での初長編監督作『blank13』(18)では国内外の映画祭で8冠を獲得。『フードフロア:Life in a Box』では、昨年末AACA(アジアン・アカデミー・クリエイティブ・アワード)にて、日本人初の最優秀監督賞を受賞。本作はJFFLA2020にて最優秀監督賞とニューウェーブ賞を受賞した『COMPLY+-ANCE』(20)に続き、監督としての長編3作目となる。また、白黒写真家としても活動していて、ここ数年は仏ルーヴル美術館にて作品が展示されている。(18年には「守破離」にて銅賞を受賞)劇場体験が難しい被災地や途上国の子供たちに映画を届ける移動映画館「cinema bird」を主宰するなど、マルチに活動している。主な出演作に、『昼顔』(17)、日仏合作『家族のレシピ』(18)、『麻雀放浪記2020』(19)など多数。公開待機作に、『騙し絵の牙』、『愛のまなざしを』、『シン・ウルトラマン』(主演・21)等が控える。
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脚本 倉持裕
1972年生まれ、神奈川県出身。劇作家、脚本家、演出家。
2000年、劇団ペンギンプルパイルペイルズを旗揚げし、すべての作品の脚本、演出のほか、M&Oplays「鎌塚氏、放り投げる」の作、演出、劇団☆新幹線いのうえ歌舞伎「乱鶯」、カズオ・イシグロ原作「わたしを離さないで」の脚本などを手掛ける。2004年「ワンマンショー」で岸田國士戯曲賞受賞。TVドラマの脚本に「弱くても勝てます」、「信長のシェフ」、「サラリーマン金太郎」など、NHKのコント番組「LIFE!〜人生に捧げるコント〜」にも参加、12月放送のLIFE!スペシャルドラマ「忍べ!右左エ門」の脚本も担当している。映画『十二人の死にたい子どもたち』に続き、本作が映画脚本2作目となる。
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プロデューサー 伊藤主税
1978年生まれ、愛知県出身。
津田肇監督『Daughters』(20)、藤井道人監督『青の帰り道』(18)、『デイアンドナイト』(19) 、待機作に、36人のクリエイターによる短編オムニバス映画を4シーズンに分けて製作する『MIRRORLIAR FILMS』他。映画製作をきっかけとした地域活性化プロジェクトや、俳優向け演技ワークショップ、プラットフォーム開発で映画産業の発展を目指す。
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プロデューサー 川端基夫
1967年生まれ、神戸市出身。
大手電機メーカー勤務時に2000年からエンタテインメント業界業務に従事。2003年「ドッペルゲンガー」(黒澤清監督・釜山映画祭オープニング作品)で初プロデューサーとなる。その後、「キューティーハニー」(05・庵野秀明監督)などのプロデューサーを経て退職。その後、海外共作、アニメや舞台も含め大小多くの作品をプロデュース。近年は「一礼して、キス」(17・古澤健監督)「体操しようよ」(19・菊池健雄)等がある。
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プロデューサー 川原伸一
1966年生まれ、東京都出身。
『ヒルコ/妖怪ハンター』(塚本晋也監督)より助監督を務める。以降、塚本晋也監督作品を中心に助監督として活動し、『六月の蛇』『ヴィタール』ではプロデューサーも兼任。『悪夢探偵』以降はプロデューサーのほか音楽や大道具なども担当。2015年より大正大学非常勤講師としても活動。
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インタビュー

監督・企画 竹中直人

――本作は、竹中監督が原作と出会い、そこから山田さんと齊藤さんへお声がけされたということですが、後進の方々と組まれていかがでしたか?
ぼくが直感的に浮かんだ2人でした。山田くんに関してはいままで映画監督をやっていなかったし、今回は監督で参加して欲しいという思いはありましたね。「とにかく3人の監督による『ゾッキ』をやりたい、孝之と工と組みたい」、その思いでいっぱいでした。「『ゾッキ』という大橋裕之さんの作品を映画にしたいんです!最高の漫画だから是非、力を貸してください!」と伝えました。
――作品を読んで感じた面白さが、竹中さんを映画化に駆り立てた原動力だったのでしょうか。
大橋さんの言葉やひとつひとつの物語すべてが感動的だったんです。脚本家の倉持裕さんが「オムニバスではなく、一本のストーリーにしたほうが面白いんじゃないか」と提案してくれて、いい具合にそれぞれが「撮りたい」と思っていたエピソードを融合した形の脚本に書きあげてくれました。
――映画と町の結びつき、という感覚ですと、今回は大橋さんの故郷でもある愛知県の蒲郡市で撮影を行っています。
とても素敵な街でした。なんともいえない懐かしさがあり、心が落ち着く本当にいい街でしたね。おかげでロケハンも順調で、理想的な場所がちゃんと存在していた。それにご飯がとっても美味しかった!
ただこの映画は、蒲郡を蒲郡としては撮っていないです。ある“架空の町”として撮影しています。だからよくある観光映画ではないんです。それは大切なポイントですね。
――山田さん、齊藤さん共に役者業にとどまらず、監督業やプロデュース業など多岐にわたり活躍をされています。役者というものについて今現在、どうお考えですか?
ぼくは基本的に「役者のあり方」みたいなことを、考えたことがないです。みんな肩書にこだわりすぎていると感じます。「肩書で判断する」感覚が自分の中にはないですね。だから「役者が監督をする」みたいな意識がない。僕自身は、“出会い”のことしか考えていません。1つの作品を作るときに、「誰とこの作品を形にできるか」が自分にとっては大切で、「これ最高だよね!」と言い合えるような友だちが欲しい、価値観を共有できる人たちに出会いたい、それだけですね。大橋さんの作品を映画化するという企画に賛同してくださった方々が集まってくれて、それでちゃんと形になった、夢を形にできたのが本当にうれしいです。
――観客に“届ける”という意識については、いかがでしょう?
エンターテインメントというと、「大きく広げなくちゃ」という意識になりがちだけど、独りぼっちのエンターテインメントもあれば、2人だけのエンターテインメントもある。大切な友だちだけに、そっと教えるエンターテインメントもあるもんね!

監督・プロデューサー 山田孝之

――『ゾッキ』で監督デビューを果たされましたが、どんなお気持ちで臨まれましたか?
分からなくて戸惑うことは100%あるとわかっているから、そうなったときに素直に質問して、助けが欲しいときは「助けてください」と言って、スタッフ・キャストの皆さんの力を借りて一緒にやっていけば何とかなるだろうという感じでしたね(笑)。一番のハードルは、監督としてそこにいると、現場の中心になるということ。それが自分には向いていないことはわかっていて、みんなが「監督、これどうしましょう」と来てくれることがプレッシャーにもなり、うれしくもありました。
――ハリウッドなどでは俳優が監督やプロデュースを務めるのは往々にしてあることですが、山田さん自身、『デイアンドナイト』(19)等、近年ではプロデューサーとしても活躍されています。
日本では「俳優が監督をやる」「俳優がプロデューサーをやる」と、職業やジャンルへの意識が強いですよね。僕はそこをいちいち分ける必要がないと思っていて、そうしてガチガチに固めたら、色々なことに挑戦できない。「いい作品を作りたい」という意識があるのなら、お互いに知ったうえでチームになれば、もっと良い関係が築けると思うんです。僕はプロデューサーをやってみて、カメラの前に立っていたときは知らなかった大変なこともいろいろ経験したし、現場のメンタルとフィジカルをちゃんとサポートしたい、映画づくりにはそれだけの価値があると気づいたんです。だからこそ、自分がプロデューサーとして入る現場では、“ちゃんと”やりたいと思いました。
――具体的にはどんな取り組みをされていたのでしょうか?
今回は、睡眠時間を守るために「予定シーンの撮影が終わったら、8時間空ける」というルールを決めました。もちろん、映画作りで最もお金がかかるのは人件費だから、キツキツのスケジュールで作品を作るという流れも、わからなくはない。でも、1人でも多くの人に観てもらいたいなら、やっぱり質を高めるべきなんです。そのためにはまず、現場を守る必要がある。そのうえで、作り上げた作品が良いものだと認められて、多くの人に観てもらえて、使ったお金を回収できたら一番いいですよね。
僕は20年ぐらい役者をやってきて、はっきり「芝居が好き」「映画もいいよね」と言える。でも、無駄なストレスが多すぎてそう言えない若い役者って、いっぱいいると思うんです。そういうネガティブな部分を少しでも減らしていって、みんなが「芝居が好き」「俳優って誇らしい」と言えるようにできたらなと思ってやっています。

監督 齊藤 工

――監督やプロデューサーや写真家など俳優というジャンルの枠を超えた活動をされています。
僕は竹中さんの初監督作『無能の人』(91)に感銘を受けて、20代の最後に監督業に思い切ってトライしたんです。竹中さんにはその頃からずっとクリエイティブな大きな背中を見せて貰っています。そして山田さんの前例がないところにぐんぐん進んで行く、"山田孝之の轍"にはものすごく刺激を受けています。俳優の枠に収まらないお二人の影響を受け、微力ながら"斎藤工"の立場だったら何ができるだろう、ということを考察する中、自分の中では「届け人」に辿り着き、被災地を中心とした地域での移動映画館などの活動を行ってきました。「cinéma bird」でお届けしたいのは、見ず知らずの人と同じ空間で感覚や感動を共有するという事。映画は観た後にそれぞれの心の感じ方をシェアした時に初めて色付くのではないかと思っています。
いま、コロナ禍によってサブスク主体になってきていたり、劇場の運営がより厳しくなったり、映画に対する様式も変わってきています。そんな時期において、『ゾッキ』は、自分の胸の中だけのささやかな出来事の連続を共有できるような、自粛期間には中々体験出来なかった日常の他者との関わりやささやかな“うまみ”が詰まった特別な映画なのかなと思っています。観た方の『ゾッキ』がどうだっか、是非シェアして頂きたいです。
――『ゾッキ』の現場では、託児所を設けられたそうですね。
映像業界で働く女性たちが、出産や育児と共に業界を離れていく流れをここ20年くらい、多々見てきました。フランスやアメリカ等海外での撮影現場では、キャストやスタッフ問わず、作品に参加する人のプライベートやパーソナリティを現場が徹底して保証する健全なユニオンのシステムを目にして、国内の現場の様式に疑問が湧いてきました。女性だけでなくて男性もですが、人の親になる事が弊害になるのはおかしいし、事実邦画界は多くの希有な才能をシステム的に逃がしていると思います。
そこで、本当に小さなのろしではありますが、齊藤組は2019年のHBOアジアのプロジェクトから、地域のフィルムコミッションの方と話して、ベビーシッターさんに勤務してい託児所を設ける動きを始めました。その前例があったので、今回も山田さんやプロデューサーの伊藤主税さんに「地域で映画を撮るであればなおさら、地域の働く女性たちの託児所と、制作体制をセットにできませんか」とご相談し、快諾を頂きました。
――『ゾッキ』からは、映画や漫画といったサブカルチャーの復興、というような意識も感じられたのですが、いかがでしょう?
今回だと、僕はサントラにそれを強く感じました。『ブロウ』や『ソーシャル・ネットワーク』みたいにサントラが欲しいと思う日本映画って近年あまりなかったように感じていたのですが、『ゾッキ』はCHARAさんが集められた素晴らしい才能により、1枚のCDとして欲しくなるのと同時に「音楽が映画を包んでいる」作品になっています。出ているキャストからでも、ミュージシャンの方たちからでも入っていけるような、まさに"ゾッキ的"な様々な入り口を生み出せているんじゃないかと思います。